「きもい」などのような俗語は多くの人は、日本語を壊していると非難するが、実はまったく違うのだ。俗語は間違った場面で使うと良くないがきちんと使い分けるなら改まった言葉と違って大切な役割を持つ。俗語は10代が大人と違うことを明らかにするもので、私は、いいことだと思う。
言葉の歴史をたどると言葉の変化が当然だということが明らかになる。日本語も英語もどの言葉もそうだ。例えば「日本語ウォッチング」によると、「じゃん」はそもそも静岡県の方言で、上京したら若者言葉になって今は中年でも使える言葉になっている。このように、言葉を変化するのが当然で俗語も悪いものではない。
スラングは日本語を崩壊するためでなく、友達関係を作るために使うものだ。改まった言葉は固くてあまり親しい感じがしないので、若者が軽く言うために略語などを使う。先生のように固い感じで話す子はつまらなさそうに思われるので誰も友達になってくれない。ところが略語などを使って軽く話す子は楽しそうな子だと思われる。だから若者が友達を作るために俗語を使うのは当たり前のことではないだろうか。私も日本にいる間友達に色々な若者言葉を教えてもらって友達と使ったら仲が良くなった。広島県に留学したので広島弁も使っていたらよそ者じゃなくなった。だから俗語の役割が関係を作ることだということがよく分かる。
新しい言葉を作るのが楽しい。それだけで、十分だろうか。私もよく新しい英単語を作り、親しい友達と使う。例えば、「vief」(意味が特にないので、どんな場面でも使える言葉である)、「grond」(grand)、「aiwaboo」(I love you)などが私の作った単語で、友達同士でしか通じない。もちろん役に立つ単語ではないけど、実は自分の作った単語を使うのが本当に最高の気持ちだ。同じように、若者が若者言葉を作るのだと思う。私の作った単語でも、10人でしか通じないのに楽しくてよく使っている。
俗語は言葉の歴史をたどるとずっと前から存在していると分かってくること、友達関係を作ること、新しい言葉を作るのが楽しいこと、この三つの理由でいいものだと思う。
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